3月 京都国際現代芸術祭パラソフィアを見て

3月は職場が春休みで時間が結構あったにもかかわらず、栃木の報告ができなかったのはいろいろわけはなきにしもあらずで…

いろいろインプットしてきたので、それらをご報告しようかと思います!

 

まず初めは京都がついに動いたと騒がれている京都国際現代芸術祭パラソフィアを。

まだ文化博物館と京都市美と芸術センターにしかいけてないのですが、私は京都市美で展示されている高嶺格さんの作品に感銘を受けました。

 

見に行かれるご予定の方にはご自身で感じてもらって感動していただきたいので、このあと続ける話は見た後で!お願いします!

まぁ私の勝手な見解なので、そこまで気にならないのかもしれません…。

 

 

さて、高嶺さんの作品が何故私の心を動かしたのかといいますと、

高嶺さんは市美の地下にある暗い場所で展示をされていたのですが、私がそこに入ったときは、1つの大きな照明がオレンジ色の光を斜めから放ち、地面にくしゃくしゃに敷き詰められていた大きな紙面を照らしていました。そして3つの錆びたカンがひとつずつ、均等に並んで上から縦向きで吊られて、紙面から30㎝くらいの高さで弧を描いて回転していました。カンの底は穴が開いていて紙面の方を向いていました。

 

照明も錆びていて灯光器のような感じで、くしゃくしゃの紙も、回転しているカンも見た目が綺麗とは言い難く、最初はなんなのかさっぱりわからず、気持ちのいい音楽が流れていたので、とりあえずぼーっと眺めていました。

すると、プツンと音楽も照明も消え、真っ暗闇の瞬間ができました。そして3つのカンの中に仕込まれていたライトが光りだし、回転しながらくしゃくしゃの紙面を一部分だけ照らし始めました。

照らされている一部分だけを見ていると、だんだん、紙の起伏の影が気になり、その影の形がただのくしゃくしゃの紙の形ではなく、鋭い形が連なっていて、それが山に見え、小さな光しか届かない部分しか見えないのが夜の月の光に思えてきました。

一定時間その状態が続き、また、パッとあの灯光器が光りだし、前のオレンジの光ではなく、白い光で紙面を照らしだしたとき、ただのくしゃくしゃの紙面が地球を上空から見た風景に見えたのです。

あの灯光器は太陽で、地面の紙は地球の起伏のように思えました。

灯光器はだんだんとオレンジ色を帯びながら暮れていき、紙面の影が伸び、また夜がやってきてカンが地面照らす。

 

こんな見た目、廃棄物のようなものに壮大な地球を想像させる魔法のような仕組みに私は感動したのです。

さらに私は地球みたい!と思いながら作品を見る前にタイトルを見ていなかったので、見に行くと、「地球の凸凹」というタイトルで、このヒントがなかったのに想像力を掻き立てさせ、そうだと思わせさせられたことにまた感動しました。

 

この、はっきりと答えを見せていないのに、想像させ、世界を膨らませるという見せ方は、この後に続きますブログにまた出てき、私が今一番注目している表現になっていきます。